銀幕から生まれた昭和の映画女優3

青春を駆け抜けた映画女優 -若尾文子-

志尾 睦子

以前、シネマテークたかさきに舞台挨拶で訪れた是枝裕和監督に、一緒にお仕事したい役者さんは誰ですかとお尋ねした事があった。たいていこういう質問に、監督さんは口ごもるものだが、是枝さんは『かなわない夢だとおもいますが』と前置きをして若尾文子さんとお答えになった。そのときの監督のはにかんだ表情が今でも忘れられない。年上の女性へのほのかな恋心にも似た憧れを込めて、そっとその名を呼んだように私には思えたからだ。
 1960年代に一世を風靡した大映の看板女優の実績も、その麗しい存在感も存じてはいたけれど、1987年以降その活躍の場は、舞台やテレビドラマでいらした若尾さん。私がリアルタイムでイメージするのはどちらかといえば黒川紀章さんを支える、かつての有名女優だっただけに、世界のコレエダがこんな表情でつぶやくその事実の方に、改めて若尾文子さんの日本映画界に置ける大きさとその魅力を知らされた思いだった。
 若尾さんの映画デビューは『死の街を脱れて』(1952年/小石栄一監督)。次作『十代の性典』(1953年/嶋耕二監督)で、主人公の友人役を瑞々しく演じ人気を博し、同年『祇園囃子』(溝口健二監督)で、人気とともに実力も立証、その後出演作は常に話題を振りまき、大映看板女優と謳われるようになった。大映が倒産する1971年までの約20年間に150本を上回る映画に出演している事を考えれば、映画界がどれだけ若尾文子という女優を求めていたかがわかるというものだ。
 昨年、若尾文子さんの大映時代の作品60本をまとめて上映する「若尾文子映画祭 青春」が企画された。映画に久しく出ていないとはいえ、現役女優のこれだけ大規模な回顧展は珍しい。日本映画界が血気盛んな時代に、数々の名匠に揉みに揉まれた女優は、かつての時代を象徴する清純派娘から、いわゆる汚れ役と言われる妖艶な女性像まで、ありとあらゆる役をそれこそ変幻自在に体を張って演じあげる。この回顧展を通じて気がついたけれど、映画女優・若尾文子はスクリーンの中でこそ、ひと際輝き眩しい。
 近年は、ソフトバンクのCMで白戸家のおばあちゃまとしてお茶の間に頻繁に登場するようになり、若い世代には「あやや」の愛称で親しまれているとか。名女優の風格はそうしたところにも出ているだろうが、やはりスクリーンで観る若尾文子さんは格別である。映画の醍醐味は女優にあり。若尾文子ここにあり、である。

志尾 睦子(しお むつこ)
群馬県立女子大学在学中にボランティアスタッフとして高崎映画祭の活動に参加。群馬県内初のミニシアター「シネマテークたかさき」の総支配人を務めると同時に、日本を代表する映画祭である高崎映画祭総合プロデューサーとして活躍。

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