銀幕から生まれた昭和の映画女優5

品性と淑やかさ、そして女性の業をものぞかせる体躯 -佐久間 良子-

志尾 睦子

 市川崑監督によって映画化された『細雪』(1983年)で、次女を演じた佐久間良子さんが忘れられない。大阪船場で暖簾を守る蒔岡家・4人姉妹の物語。文豪・谷崎潤一郎のこの名作は、映画化も舞台化もされていたけれど、私にとっての『細雪』はこの映画が初体験だった。4姉妹の物語に引き込まれたのと同時に、佐久間良子さん演ずる幸子に、日本女性の強さとしなやかさを見た気がした。ふくよかで柔らかな肉体美が、一歩引いた立ち位置ながら時折見せる貫禄に結びつきなんだか目が離せなかった。当時はまだ映画をそれほど見ていなかったため、私にとって佐久間良子さんはテレビドラマで良く見かける女優さんでしかなく、東映の一時代を牽引した銀幕の大女優ということすら知らなかった。同じ女優さんでもこんなに映画とテレビで違って見えるものかと思ったのを覚えている。
 品があり、しとやかでいて、女性の業ものぞかせる肉体的な女優。その後ドラマや舞台での見る目が変わったのは言うまでもない。
 佐久間良子さんのデビューのきっかけもまたスカウトに近い形だったという。高校生のとき、撮影所の運動会に遊びに行ったところで東映幹部に見初められ、是非にと請われたものの、良家のご令嬢の芸能界デビューは、家族・親族一丸となっての猛反対だったとか。それでも本人の強い希望で、1957年に東映ニューフェイス第4期を受験。なんとこの時、水着審査をご本人が拒否したそうで、補欠合格になったとか。いかに、会社側が欲しいと思っていたのかがわかるエピソードだと思う。そうして東映に入社を果たし、翌年には『台風息子』2部作(小石栄一監督)でヒロインを演じ表舞台へ。その頃、1年間の出演作品は14〜5本に渡っている。わずか数年で東映のトップスターに登りつめた女優の大活躍ぶりはその出演数を見れば明らかだ。
 その後、東映はヤクザ映画に路線を変更。藤純子という任侠女性スターを輩出すると、看板女優の座を明け渡し、自身の活躍の場をテレビや舞台へと変えていった。
 そうして私などは後から佐久間良子さんの銀幕女優ぶりを知ることになるわけだが、『故郷は緑なりき』(1961年/村山新治監督)での恋人を想う一途な女学生も、『人生劇場 飛車角』(1963年/沢島忠監督)での情婦も、体温を持った人間味豊かな人物像が浮かび上がっていた。女優としての技量がなしうるのは当然としても、スクリーンに映える体躯を持っているというのも女優の凄みなんだと感じたのである。

志尾 睦子(しお むつこ)
群馬県立女子大学在学中にボランティアスタッフとして高崎映画祭の活動に参加。群馬県内初のミニシアター「シネマテークたかさき」の総支配人を務めると同時に、日本を代表する映画祭である高崎映画祭総合プロデューサーとして活躍。

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