104.高崎新風土記「私の心の風景」

佐野は東歌ロマンのさと

吉永哲郎

 万葉集巻14の東歌には、上野国の歌が多く収録されていますが、そのなかで「佐野」に関連する歌が4首あります。このことから、佐野は東歌のロマンのさととして私は考えています。
 烏川左岸には上佐野・佐野窪・下佐野の町名があり、およそ2キロにわたる地域が佐野です。佐野に関する4首の中で、一般によく知られている歌は、「上毛野佐野の舟橋取り放し親はさくれど吾は避<さか>るがへ(親は舟橋をばらばらにして、私達の仲をさこうとするけれど、そうは出来ないぞ)」です。
 さて、何故ここに舟橋をつくったのでしょうか。さらにどうして親が二人の仲をさこうとしたのでしょうか。この疑問を解くには、万葉人の日常生活の背景に潜む、さまざまな課題を考えないと、なかなか理解できません。
 橋の必要性は、まずは生産物交易です。生活習慣や文化が異なる右岸と左岸に住む人との交流は、簡単ではなかったと想像されます。人の往来が始まる第一のきっかけは、季節ごとの歌垣のまつりに集まる若い人たちの出会い。そこで生まれる恋愛感情は、誰にもとめられない青春の息吹です。
 舟橋を破壊する親の反対があっても、一途に相手を思う激しい気持ち。現実に親が橋を壊したことを詠んだのではなく、恋ずる者の心情表現がこの一首だと思います。佐野のから烏川の流れを見ていると、恋に夢中の女の子が幽かに見えてきます。

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