94.高崎新風土記「私の心の風景」

コノハナサクヤヒメを見た

吉永哲郎

 冬の風景には、木々の繁みによって見えなかったものが、目の前に突然現れたような風景に接することがあります。近年ではどこでも宅地造成が進み、慣れ親しんでいた田園風景がなくなってきただけに、冬の風景にはさまざまな思いが重なります。
 新町から旧国道17号線を北上し、倉賀野町を過ぎると密集した住宅の隙間から、こんもりとした古墳が見えます。冬になりますと丸裸になった小山のように見えます。この旧国道は江戸時代の主要街道中山道と重なっていますが、古い絵図にはこの古墳を「富士森」と記しています。江戸時代からの旅人はこの森を見て「高崎のお城下が近い」と、足を早めたと思われます。
 「富士森」は国史跡の墳丘浅間山(センゲンヤマ)古墳のことで、東日本で太田市の天神山古墳、茨城県石岡市の舟塚山(フナヅカヤマ)古墳につぐ、第3番に大きい前方後円墳です。この巨大古墳の全貌がこの寒い季節にあらわれます。
 さて、「富士森」とは江戸時代この墳丘の上に浅間神社(祭神コノハナサクヤヒメ)が祀られていました。この古墳は、上りの新幹線車窓からよく見え、同時に窓下には子鶴巻・大鶴巻古墳も目に入ります。案内板がありませんので、ただの住宅地の繁みのように見えます。このあたり一帯が、万葉集の東歌の原風景と重なり、浅間山古墳とともに大事な眺めだといつも思っています。
先日のことです。このあたりを散策していましたら、ピンクの薄い衣をまとった若い女性に会い、ニコッとされました。もしかしてコノハナサクヤ姫かと、後で気付きました。春近いことを告げられたのかも・・・・・

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