63.高崎新風土記「私の心の風景」

蚕影碑の前にたたずんで

吉永哲郎

 箕郷町柏木沢新屋敷から本田中に通じる道を歩いていきますと、不動寺・八幡宮近くの小川沿いの小高いところに庚申塔が目に入ります。その丘の下に高さ一メートルほどの「蚕影碑」があり、碑文には、明治20年5月23日の大雷雨降雹被害(短時間で約60センチ積もったと伝えられる)のことが記されています。それによりますと、農作物はもとより、特に桑の木は樹皮がむけ、白々と木肌はむきだしになり、一瞬にしてあたり一面が氷原化し、人々は茫然と立ちつくしていたと、被害の様子を伝えています。
 以前、五月末から六月にかけての上州の農家は、お蚕に桑を与える「桑くれ」の作業の真最中でした。先の大被害は五月末ですので、お蚕は三眠に達するほどに成長していた頃であり、桑が全滅状態になったことは、お蚕を飼育することができなくなった事を意味します。さらに悲しいことは、飼育不可能になったお蚕を処理することで、お蚕を大籠に詰めて背負ったり、大八車に積んで、急きょこの碑のあたりに堀った大穴に、涙して埋めたと伝えられています。
 後に、このお蚕の鎮魂の意味をもって蚕影山大神を祀り、明治30年に村人たちによって、蚕影碑が建立されました。今でも、箕郷町の各小学校では「蚕影碑物語」が児童たちによって上演され、桑くれの作業などとは無縁な子どもたちも、埋められたお蚕のことに思いを馳せ、涙すると聞きます。
 碑の前にたたずみますと、当時の人たちの悲しい表情が目に浮かび、同時に群馬の近代を背負ったのはこの人たちだと思いました。

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