64.高崎新風土記「私の心の風景」

万葉人の美人山 ―多胡の嶺―

吉永哲郎

 万葉集のことを知ったのは、野尻抱影の星の神話や伝説の本を読んでいた小学校五年生の時でした。その中で山上憶良の七夕に関する歌が万葉集に収められていることを知り、万葉集に興味をもつようになりました。その後、「東歌」とある巻十四に「多胡の入野」の地名のある歌を知って一層興味をもちました。
 そして、多胡の古碑を探しに吉井町へ行きました。子供用の自転車で砂利道の中山峠を越え、吊り橋の多胡橋を渡ったことを思い出します。はじめて峠を越えた時、今まで見たことがない多胡の連山が目に入り、万葉時代の空間に入るような錯覚を覚えました。この印象は、奈良の三笠山から三輪山に続く山なみの風景を知ってから、一層古都を思うと多胡の嶺を眺めにいくようになりました。
 その後、多胡の嶺を目にするといつも「多胡の嶺に寄網延(は)えて寄すれどもあに来(く)やしづしその顔よきに(多胡の嶺に寄せ綱をかけて引っ張るように、いくら引き寄せても決して靡いてこない。つんとすましている。顔がいいものだから)」という東歌を口にするようになりました。多胡の嶺はどの山をさすかはっきりしませんが、連山の中で一番目をひく牛伏山といわれていますが、土地の老婆に聞きますと「顔のいい女ちゅう、美人山だ」と、城山(451メートル)を教えてくれました。
 六月一日に吉井町が高崎市になり、これまで以上に高崎は古代ロマンゆかりの地となったと感じます。それは、吉井には万葉人の姿を今に伝えているところが多く残っているからです。

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