56.高崎新風土記「私の心の風景」

美保神社参り

吉永哲郎

 昭和四年(1929年)十月二十四日は、ニューヨーク・ウォール街で株価が大暴落し、世界大恐慌のきっかけとなった「暗黒の木曜日」ともいわれています。この年「大学はでたけれど」のことばが象徴するように、一般人の失業率は上昇し、東大出身の学生の就職率は30%という、深刻な不況時代でした。こうした時、高崎の商人たちは、不況を乗り越えるべく、近郷近在からの人寄せに腐心し、島根の美保神社の恵比寿・大黒の分霊を高崎神社に迎えて、「ゑびす講」を開催しました。商店は「見切り品・均一品・格安品・特価品・蔵払い・棚ざらい・特売・廉売」のキャッチフレーズを用いるなどして、客寄せに懸命でした。
 こうした努力の積み重ねは、やがては高島易断の暦にも載るようになり、北関東一円に高崎のゑびす講の名称が響きわたりました。その賑わいは、駅から高崎神社までの町の通りは人があふれ、人とのすれちがいがやっとでした。昭和四十年頃まで賑わいは続いていました。
 最近、家の本棚の写真集『秩父』(南良和の写真と井出孫六のエッセイによる、秩父の風景と生活をまとめた大型本)を開いていましたら、養蚕農家の内部を撮った「部屋」という作品に日を奪われました。破れた襖に父が描いた昭和四十年頃の「高崎ゑびす講」のポスターが貼ってあるのです。これまで気がつきませんでした。高崎の商業圏が秩父の山村まで広がっていたことを思わせます。
 本を閉じて早速、高崎神社境内に鎮座する美保神社にお参りにいってきました。人影はなく、少しさびしく感じました。

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