51.高崎新風土記「私の心の風景」

バラの咲く学園

吉永哲郎

 古い書類箱を整理していましたら、「バラの咲く学園」と題した一枚の切り抜きが出てきました。エンピツのメモで「昭和29年8月号・受験雑誌『蛍雪時代』巻頭言」と書いてあり、旺文社社主の赤尾好夫の文章でした。なつかしく読みますと、文中に「群馬県のT高校に講演に出かけたが、私は校門を入って驚いた。一面色とりどりのバラの花の満開なのである。校舎まで、否、校舎がバラの花の中にうずまっていると言ったほうが妥当かもしれない」と記してありました。こうした環境の中で美を愛好する精神が自然に宿り、青春期の勤勉・素朴・清廉の心がより育まれることを教えられたともありました。
 思わず十七歳前後の青春時代にタイムスリップした錯覚に陥りました。「忘れていたな。バラの季節だ」と、久方に母校を訪れてみたくなりました。
 夕暮れ近い頃でした。校門を入ると指月庭や校舎をとりまくバラが盛りに咲いていました。あの記事から五十年以上も経ているのに、今に咲き誇っているバラ。青春の熱き思いと美への感性をよびさまされた思いがしました。しばし佇んでいると、このバラの香に将来を夢見ていた頃のこと、北原白秋の「薔薇ノ木ニ/薔薇ノ花サク。/ナニゴトノ不思議ナケレド」詩が自然と口をついてでてきました。そして、白秋門下の薔薇の詩人大手拓次を思い出していました。
 半世紀以上もバラを咲き誇らせてきた多くの人達を思いつつ校門を後にしました。グランドでは白球を追う野球部員の声が響きわたっていました。

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