髙崎唱歌

散歩風景 23

吉永哲郎

唱歌の24番は、「橋を渡れば大橋町 渋川行きの馬車鉄道 長野直江津方面に 飯塚駅のステーション」です。
渋川街道の大橋を渡って北が大橋町。「渋川行きの馬車鉄道」とは、1893年(明治26)高崎―渋川間にできた鉄道馬車のこと。その後1908年(明治41)に電気鉄道になり、その翌年、伊香保まで延長しました。客車を馬で曳く鉄道は、蒸気機関車や電気による時代までの動力源は牛馬が主流でした。近代鉄道発展には欠かせない鉄道馬車だったのです。大橋の手前4、5軒に建つ西山ビルの横に細い道がありますが、それは電車の軌道専用道跡です。大川を渡り、今はありませんが電車山への登り坂に通じていました。この山は、信越線との立体交差のために出来たものです。この山裾に山の土を掘った跡を利用した池ができました。貸しボート屋ができ、夏には水泳、釣りができ、子供たちの天国として親しまれていました。「飯塚駅ステーション」は、現在の北高崎駅です。「長野直江津」とありますが、当時上越線開通前で、新潟方面へは直江津を経ていく時代を表しています。当時、北駅には、上下あわせて10本、鉄道馬車飯塚停車場には上下あわせて23本の運転発着があり、乗降客の多い界隈になりつつあったことを示しています。今は駅の北に商業施設ができましたが、以前「飯塚の倉庫」群があったところです。北駅は、横川、松井田、安中方面からの高崎中学・高崎商業・県女などへの通学生の乗降で、朝夕は若者の姿で賑やかであったと聞きます。

(2019年3月稿)

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