髙崎唱歌

散歩風景35

吉永哲郎

 唱歌の35番は「八島町にはステーション 倉庫会社に運送店 荷物の集散 比(たぐ)ひなく 実(げ)に八達四通の地」です。

 「八島町」は明治35年に命名。明治17年上野高崎間鉄道開通時に、停車場の位置は、御伝馬事件で新町(現あら町)の人たちから犠牲者を多く出していることに他町からの同情があり、また同町の矢島八郎から率先して停車場設立多大な寄附もあり、下和田の田圃の真ん中で新町に近いところ(現高崎駅)に設立されました。

 高崎東京間鉄道敷設は明治政府の近代化に伴う重要な意味を持ち、路線決定まではさまざまな難問がありました、その経緯に関しては市史などを読んでお確かめください。

 高崎線開通はそれまでの水運輸送体制を一変させました。
 開通当時、鉄道は上野まで約4時間、それに比べ船は江戸と倉賀野間は下り船で3日から4日、上り船は17日から18日かかり、一カ月に一往復程度でした。こうして水運の中心であった倉賀野河岸は衰退の一途をたどっていきます。「倉庫会社・運送店」は、明治初期の欧米のへの輸出70%を占めていた生糸、その上州生糸の輸送基地として、高崎駅近くに赤レンガ倉庫が立ち並び、運送店前に荷馬車、やがてトラック往来が盛んになりました。

 現在、駅前は、東京近郊の都市風景のようですが、こうした風景になるまでの駅周辺を知る人は、年々少なくなっていきます。昨年、芸術劇場開館記念に上映された「ここに泉あり」は、以前の高崎駅の姿がありました。

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