髙崎唱歌

散歩風景 17

吉永哲郎

唱歌の18番は、「其外水利を応用し 染物業や製糸場 社名にしるき旭とて 日に増し造る国の富」です。この唱歌は17番を補った内容です、前回述べたように、常磐町四つ角から旧中山道筋の街並み(歌川町・並榎町・君が代橋まで)の盛況ぶりを描写した歌です。現在に面影を残す確かなものはありませんが、道筋がまっすぐな風景だけは、以前と変わらず、往時を偲ぶよすがとなっています。
近年、製糸場や鉄鋼場の高い煙突や煙も姿を消して、あらたな住宅街に変貌しつつある風景は、未来の高崎の新しい住宅街形成の誕生を思わせます。
18番の「旭社」は、1886(明治19)年、横浜生糸売り込み問屋茂木惣兵衛が、地元商人橋本清七・絹川喜平二らと創設した改良座繰製糸会社のこと。1890年代中頃まで、高崎の製糸業の重要な位置を占め、市内最大の両替屋の須藤清七の「昇明社」とともに高崎の経済の中心的役割を担っていました。
高崎の繁栄を示すのは、人が集まる賑やかな街形成ですが、その人の往来は時代とともに移り変わります。
17・18番の唱歌に見られた、常磐・歌川・並榎町の旧中山道筋の賑わいは、連隊を中心にした商店街に人が集まり、戦後は米軍の空爆からのがれ、焼け残った中部商店街と駅前通り(終戦直後のヤミ市と露天が並んでいた)とが賑わいました。
高崎を象徴する「ゑびす講」の人出は高崎繁栄を物語っていましたが、現代の物語りは、高崎駅中心のエリアから、発信しはじめています。

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