髙崎唱歌

散歩風景 19

吉永哲郎

唱歌の20番は、「畝傍の橋をうち渡り 赤き御堂は観音堂 和田三石その一つ 大師の石はここにあり」です。畝傍橋は現存しません。
以前長松寺の坂道の途中にある「得利稲荷」を通って、神武湯(前回参照)にゆく表道に架かっていました。橋下は湿地の堀であったといわれます。そこに「鯉池」という川魚専門の小料理屋があり、大正から昭和にかけて店に美人画家岩田専太郎が描くような女性がいて、若者が通い詰めたと聞きます。今は道路が整備され、「長松寺水車(くるま)」もなくなり。当時の面影は長松寺の石垣だけになりました。この「水車」は3基あり、40本の杵を同時に用いた大掛かりなものでした。
箕郷・保渡田・大類からなど近在から農家の人たちが荷車に2俵ほど積んできて、当時水車半日水車でのお談義を楽しんでいましたが、電気精米の時代とともに利用されなくなりました。
「観音堂」は現恵徳寺門内正面の行基作と伝える十一面観音を安置したお堂のこと。上野巡礼33番・群馬郡巡礼28番の札所で、7月10日の「四万六千日」の縁日は賑わいました。参道の東に「めぐり来てその名を聞けば赤坂の曇らぬ月に罪ぞ晴れける」と33番の巡礼歌が刻まれた石が「大師の石」。唱歌には詠まれていませんが、恵徳寺墓地入口に「奪衣婆<しょうずづかのばば>」の石像は、咳や喘息に悩まされている人たちの願掛け像で、効果があると香煎(むぎこがし)をお供えしました。今日は唱歌名残り散歩ですが、実は美味しいものがあるのです…。

(2018年11月稿)

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