高崎市指定文化財の指定

(2023年08月19日)

八幡八幡宮
諏訪土俵獅子舞
多胡古墳群・寺ノ上支群
山ノ上西古墳

追加9件・新規3件を指定

高崎市は、令和5年8月1日付で高崎市指定重要文化財の追加指定9件、高崎市指定重要無形民俗文化財の新規指定1件、高崎市指定史跡2件の新規指定を発表した。

 

 

高崎市指定重要文化財追加指定を受けたのは、八幡八幡宮の神楽殿と他7棟と八幡宮社頭造営之図・1幅の9件。

高崎市指定重要無形民俗文化財の新規指定を受けたのは、諏訪土俵獅子舞(金古町)。

高崎市指定史跡の新規指定を受けたのは、多胡古墳群・寺ノ上支群(たごこふんぐん・てらのうえしぐん)と山ノ上西古墳(やまのうえにしこふん)の2件。

 

今回の指定により、高崎市指定重要文化財150件(件数の変更はなし)、高崎市指定重要無形民俗文化財は28件、高崎市指定史跡は92件、高崎市指定文化財の総数は324点となった。

 

 

 

 

八幡八幡宮は、天徳元(957)年の創建と伝えられ、京都の石清水八幡宮を勧請したのが始まりとされている。

上野国一社八幡宮として由緒のある神社であり、源氏の崇敬が深く、源頼義・義家(八幡太郎)は奥州征伐の折、八幡八幡宮に必勝祈願を行い、戦に勝った結果、社殿を改築したという。

社殿8棟・神門2棟・鐘楼1棟が一体的に構成された境内配置として、今日に残るものとしては全国的に見ても希少となっている。

 

平成10年2月に本殿・幣殿・拝殿及び棟札が指定されている。今回、18世紀初期から19世紀中期頃にかけての神社建築装飾化の過程を示すものとして、「神楽殿、鐘楼、神門、随神門、境内社天満宮社殿、境内社東照宮本殿、境内社地主稲荷神社本殿、境内社日枝神社本殿」が追加指定された。

八幡宮社頭造営之図は、八幡宮造営当時の様子がわかる貴重な資料。

 

 

金古町の諏訪土俵獅子舞は、金古の諏訪区と土俵区で宝永2(1705)年以降に行われてきたと伝えられている。金古宿に赴任していた3人の旗本が寄贈したことが始まりとされ、鹿島流に属す。舞14種類・笛16種類の豊富な演目から成り、他地域の獅子舞と比べ1つ1つの演目を舞う時間は比較的短く、独自のものとなっている。獅子頭は県内でも数少ない馬の毛が用いられたもので「毛獅子」と呼ばれる。獅子舞保存会が結成され、獅子舞の伝承や後継者の確保に積極的に取り組んでいる。

 

 

多胡古墳群は吉井町多胡から吉井町神保にかけて分布する古墳時代後期~終末期にかけての群集墳で、90基以上存在していたと考えられ、吉井地域最大の古墳群。鏑川が形成した河岸段丘のうち上位段丘に位置し、鏑川へ流れる大沢川の右岸に直径10~20m程度の円墳を中心とした古墳が分布している。

周辺の台地には紡錘車や布などの織物業関わる遺物が出土している矢田遺跡があり、のちに古代多胡郡の基盤になる手工業生産を担った集団の存在を示し、本古墳群はこの集団の墓域と推測される。古墳群のなかでも寺ノ上地区には広範囲に密集した多数の古墳が保存状態良く残存している。築造された当時の景観を良好に保っていることから、学術的価値の高い遺跡となる

 

 

山ノ上西古墳は高崎市街地南方約5kmの観音山丘陵の山中に位置し、直径10mの山寄せ式古墳。凝灰岩截石切組積の両袖型横穴式石室が最大の特徴で、石室の全長は6.33m。本古墳より東方約250mに所在する国特別史跡山上古墳の系譜を引く石室構造となっている。山上古墳と同様に人里とは隔絶された場所に所在し、立地条件、墳丘・石室の規模や構造等の特徴から山上古墳に続くものと考えられる。山上古墳とともに山上碑に記される佐野屯倉に関係する豪族の理解に欠かせない古墳で、市内における古墳時代終末期の様相を知ることのできる古墳として学術的価値が高い。

 

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