67.高崎新風土記「私の心の風景」

鎮守の森をもとめて

吉永哲郎

 十月になりますと、普段あまり気にとめていなかった神社の入口、村や町の境に、秋祭を知らせる細長い幟旗が掲げられます。秋祭りの季節到来です。この秋祭りの「あき」は、「飽食(あきぐい)のまつり」を省略した語といわれ、古くはアキグイノウシノカミ・ハヤアキツヒメをおまつりする、飽食の意味をもった祭りでした。
 つまりイネの収穫を神に存分に食していただき、同時に人間も食して満腹の喜びにひたるという収穫祭のひとつであったようです。ですから農村の秋祭りは農作物の実りを神にお供えし、神への感謝の心を表す古風な習わしを今に伝えていますが、収穫の実感のない都市での秋祭りは、観光行事的な色合いが強く感じられます。でも、秋祭りと聞きますと、自然に小学唱歌の一節「村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭り日」の歌詞が、口をついてでてきます。
 この唱歌にある鎮守の森は、一般的にその土地の守護神をまつった神社の森、つまり地霊をまつった森という意味です。特別の日でなければ、人の姿を見かけることは少ない空間です。さて、この鎮守の森の空間こそ、自然保護運動の原点になっています。鎮守の森はその地域の一昔前の自然の姿を伝えているといわれているからです。近代の土地開発によって各地の多くの自然が姿を変えました。もし開発がなかったら、その地域一帯の自然のたたずまいは、鎮守の森のような姿であったことを意味するからです。鎮守の森をもとめて、あちこち歩きました。その一つ、箕輪町松之沢の榛名若御子神社の鎮守の森に出会いました。

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