石碑之路 散歩風景2

吉永哲郎

 「石碑之路」は山名の高崎自然歩道、山名八幡宮を基点に「山上碑」を経て「金井沢碑」に至る約5kmの遊歩道です。

 境内の石碑之路案内板を読んで、八幡宮の裏山の坂道を500mほど歩くと、保育園の上の台地の茂み(以前、ここは昭和天皇陸軍大演習御野立ち所の跡で見晴らしの良いところでした)に、「左努夜麻爾宇都也乎能等乃等抱可騰母 彌毛等可児呂賀於母爾美要都留 左ぬやま尓う徒やを能と乃登ほ可ともねもと可ころか於もにみえ津る」(さぬやまにうつやおのとのとおかどもねもとかころがおもにみえつる)の高野辰之書の万葉歌碑があります。

 古代の山名地域は、北から烏川、西から鏑川、南から鮎川とが合流するデルタ地帯で、低い佐野連山を背景にした農耕儀礼の聖地として、春と秋には男女が集まり、歌を詠み交す歌垣の場。「斧音(おのと)」は木を伐る音ではなく、木の幹を繰り抜いた筒状の楽器をたたく音と考えます。奈良県桜井市の三輪山の西南麓、大和川が流れる金屋の周辺は、山名デルタ地帯と同様に古代のターミナル。多くの道が交錯し「海拓榴市(つばいち)」という交易の市が立ち、男女が集まり歌垣の場。仏教伝来の地であると「日本書紀」に記されています。

 碑の歌は普通「佐野山で打つ斧の音が、遠く聞こえてくるように、あの愛しい子は遠くに居るけれど、共寝をしようというのか、あの子の面影がちらついて見えたのは」と訳されていますが、私は「歌垣で囃し立てる音が聞こえてくる。逢いたい逢いたいと、愛しい人が踊って姿が目に浮かぶ」と鑑賞します。

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