石碑之路散歩風景20

吉永哲郎

今回は前回の柿本人麻呂の長歌を鑑賞します。

 折口信夫の口訳万葉集を参考に意味をとりますと、
「わが帝が、神の通りに尊い行いをなさるために、吉野川の急流の流域に、高殿を高く目につくように、お建てになり、それに登って、御領内をご覧なさると、むくむくと続いた青い垣のような山の神が、帝の御心をお慰め申すための献上の心づくしと見えて、春の頃は、山は花を頭飾りにし、秋になると、紅葉をば飾り付け、それから川の方でいうと、ゆきそふ川の神も、帝の御膳部に供え奉ろうと、上流の方には鵜川を設け、下流の方にはさで網をさし渡して(人々の魚をとることが出来るようにしている)魚をとる。こういう風に、山川の神までがいっしょになってお仕え申している、貴い御代であることだ」
となります。

この長歌を何故ここに建立したのか、確かなことは不明ですが「石碑ノ路」は、石碑に刻された書を鑑賞することが一番の意味で、次に歌を理解するにふさわしいところに建立したことが、訪れてみるとわかります。
またこの路の散策には、相当な想像力と万葉歌の教養が求められることも思われます。
この長歌を理解するのに現地を訪れることが一番ですが、帝の「国見」のことを意味する長歌ですので、先に歩いた山名八幡宮の裏山の保育園前の台地の陸軍大演習で昭和帝「御立所跡碑」あたりに立って鑑賞したいのですが、現在は残念ながら関東平野を眺望できません。この「石碑ノ路」周辺も徐々に都市化の波が押し寄せています。

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