終戦時に多胡碑を隠した場所を確認

(2018年02月17日)


多胡碑隠存の埋設坑

高崎市教育委員会は、このほど太平洋戦争直後に地域住民が多胡碑を隠存したと見られる埋設坑を発見したと発表した。

昭和20年8月に終戦を迎え、進駐軍が多胡碑を接収する恐れがあるとし、文部省の指令で多胡碑が地域住民によって、近くに埋めて隠された。その後、多胡碑は昭和21年10月に再建された。

多胡碑記念館などがこれまでに聞き取り調査を行ってきたが、関係者の記憶に相違があるなど、埋設場所の特定はできなかった。今回発見された埋設坑は、多胡碑の東側の民地内にあり、南北方向293cm、東西方向180cm、深さは地表面から78cm。地域住民が多胡碑を大切に保存してきた歴史を示す貴重な発見。

高崎市は調査報告会を3月10日(土)午前10時から吉井公民館で開催する。

 

 

 

 

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