多胡郡正倉跡に巨大な法倉

(2016年01月29日)


多胡郡衙の解明に貴重な発見

 高崎市教育委員会は、今年度の多胡碑周辺調査により、多胡碑と同時代の8世紀に建造された大型の倉の跡を発見したことをこのほど発表し、28日、この「多胡郡正倉跡(たごぐん・しょうそうあと)」を報道機関に公開した。
 この大型の倉は、多胡碑の真南、約400mの河岸段丘上に位置し、多胡郡の役所=郡衙(ぐんが)を構成する重要な施設となる。
 多胡碑周辺調査で、倉の跡が発見されたのは、昨年度に続いて2例目で、今回の発見場所は、前回よりも150mほど北側。倉庫の規模は前回の2倍ほどあり、構造も格式が高い。多胡郡の建郡に伴い、国家の威信をかけて建設したシンボリックな建物であったと見られる。
 この倉は、1mほどの大きさの礎石が8尺(2・4m)の等間隔で並び、建物の規模は約7間(16・8m)×約3間(7・2m)、床面積120㎡、当時としては超大型で、多胡郡正倉院の中でも最も格式の高い「法倉(ほうそう/のりくら)」に該当すると考えられるという。大量の瓦が出土し、この法倉が瓦ぶきであったことを示す。瓦ぶきの郡衙正倉の発見は群馬県内で初めてで、全国的にも希少となる。高床式で、外観としては、現存する東大寺正倉院に近いものと考えられるという。
 租税や穀物などを貯蔵する倉庫を正倉、正倉が立ち並ぶ場所が正倉院と呼ばれるが、高崎市教育委員会は、昨年度に発見された正倉と、今回発見された正倉を含むエリアが、多胡郡衙の正倉院であったことが確実になったとし、「多胡郡正倉跡」と命名した。正倉院は、塀や堀で囲まれることが多いが、今回は別の場所で堀跡も見つかっており、正倉院エリアを特定する重要な手がかりとなりそうだ。正倉院エリアを囲む西側部分と南側部分の堀跡が確認され、北側部分、東側部分は河岸段丘の崖で区画されていたのではないかと考えられるという。今回発見された法倉は、正倉院エリアの最も北側の丘上にあり、正倉が立ち並ぶ古代多胡郡の壮大な風景を思わせるものだ。
 法倉跡からは、建設時の8世紀の瓦と、補修に使ったと考えられる9世紀の瓦が発見され、少なくとも9世紀まで使われていたことを示唆する。また、建設時に使われた瓦は、多胡郡内で窯が開発される以前のもので、乗附周辺で焼かれたものではないかという。
 富岡市長は「日本の古代史解明に欠かせない発見であり、大変喜ばしい。多胡郡衙が実際にその姿を現したことになり、上野三碑のユネスコ世界記憶遺産登録への後押しとなる。今後も更に調査を進めていきたい」とコメントしており、高崎市教育委員会では、保存に向けて、地域の理解を得ていきたいとしている。
 
●現地説明会
 一般を対象とした現地説明会が1月30日(土)と2月6日(土)午前9時30分から午後3時30分まで行われる。受付場所は多胡碑記念館南の調査事務所または発掘調査現地。調査現地には駐車場がないので、多胡碑記念館の来場者駐車場(吉井運動公園駐車場)に駐車し、徒歩で移動となる。
 
詳細PDFはこちら>>現地説明会詳細PDF

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